coto_ha

ニュースは「スクープ」ではなく、「スペース」に依存する

…まずは、京都のアニメーション制作会社での事件の被害に遭われたみなさま、およびご家族のみなさまに、深く哀悼の意を申し上げます。

このタイミングで、個人ブログが何を書いても、「追悼、アンドレ・プレヴィン」的に人の死を商売に結びつけるCDショップ精神と、なんら変わりがないのですが、それでも、

「これでもう、韓国のことは忘れませんか?そちらは政府にお任せして、よりたいせつな問題に、向き合うべきではないでしょうか?」

そう、主張させていただきたいわたしがおります。

 

以前本ブログで、韓国とは、どんなふうにお付き合いをしたらいいのかな?ということを書かせていただき、「いつの間にかネットから冷静な意見が消え、嫌韓意識がデフォルトになってしまった!」とそのときは感じたのですが、今になって改めてみなさまのコメントをつまびらかにするに、「嫌うのではなく、関わりたくない」という意見が多いことに、自分の不明を恥じております。

 

…結局はナショナリズムの問題であって、日本と韓国が「国」としての関係を悪化させても、個々の友情と信頼のある相手とは、ナショナリズムとは無関係に互いを尊重し合えるわけですし、それは逆に言えば、国同士の仲がとてもよくても、そういった個々の人間関係にあっては、やはり今と同様に「そんなの二の次」でしか、ないのですね!

 

わたしもここ数年は、親しくさせていただいている韓国のお友だちは身近にいないのですが、もしいたとしても、

「国同士の関係も、よくなったらいいのにね」

「日本に対等に見られたい、という、韓国の新聞の主張にははっとさせられた。わたしは韓国文化も好きだけれども、過去の経緯から、そのように感じる人が韓国にいらっしゃることは、想像できる。もし、韓国を対等に見ていない日本人がいるとしたら、やっぱり明治維新以降の「家柄」を引きずる政治家かもしれない。。(ビジネスの世界には殆どいないとおもう)」

「うるさく感じるのは正直な気持ちで、でも憎むのは違うと思うから、他のニュースによりスペースを割かれて、政治家同士が解決してくれるまで、国民の関心が薄くなればいいとおもうよ!」

とは、言葉を慎重に選びながらも、言えるかとおもっています。(さすがにここまで来てしまうと、一切口に出さない方が、たぶん不自然でしょうし)

ニュースは「スクープ」ではなく、「スペース」に依存する

やっと本題なのですが、子供の頃のクイズで驚いたことのひとつに、

問題:ラジオと新聞は、どちらの方が古くからあるか?

答え:ラジオ

というものが、ありました。…子供的にはラジオの方が「ハイテク」に感じられたことが「驚き」として今まで記憶している理由だとおもうのですが、新聞が、技術とか需要以上に「ビジネスモデル」としての確立を待って、今日の地位を築いたのだな〜、と、成長の過程で思い巡らすに至って、納得できた事実でもあります。

…それとだいたい同時期に気づいたことのひとつに、「大きな事件・事故が起きると、小さな記事は新聞に掲載されない」ということも、あります。

「新聞社の人も来ていたから、きっとわたし、明日の新聞に載るよ!」

…と幼心に思っていたら、載らなかったという経験をお持ちの方は、わたし以外にもいらっしゃるのではないでしょうか?(涙)

新聞は本当に「紙面」というわかりやすい制約がありますが、時間が制約となるテレビやラジオ。そして、一見制約などなさそうなインターネットの記事にしても、「情報はある。だが、目に留まらない」という意味では、本質的に一緒です。

 

…(マスメディアに携わる皆さまが、「高い志」で業務に当たられている前提に立ちますが)きっと、「今日の新聞は、読む価値がない」という日も、あるはずです。

新聞が本当に伝えたい情報がなければ、その日の紙面は「別に伝えたいわけではない」記事で埋められるわけですし、「そんな日は新聞は刷らない!」ということをなぜしないのかといえば、「新聞を毎日発行し毎日購読してもらう」というビジネスモデルが破綻してしまうからです。。

少なくとも、ニュースに優先順位があることは紛うことなき事実であるはずです。

スクープが大好きすぎて、スクープ以外の記事には関心を持たない読者が仮にいたとするならば、その人はスクープのないニュースを、常に惰性で「目で追っている」だけなのでしょうし、またそう仕向けることが、マスメディアにとっては大切な「ビジネスモデル」なのでしょう。

野球に興味はないけれども、高校野球は見てしまう人の心理などが、これに該当するかと思われます。

 

他愛のない思いつきで、駄文を連ね申し訳ありません。わたし自身、貴重なお昼休みを、無駄に超過してしまいました。。

改めて、理不尽で凄惨な事件に対し悲しみを感じるとともに、わたしなどではとうてい力及ばず、不快な気持ちになるだけの報道からは距離を置きたいと、切に、切に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です