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世界は、成立していることのがらの全体である

かなり長い間、「復路では乗客を乗せられないバス」が存在する世界を思い描いています。

 

「あ!これ近いかも?」と感じたのは、「千と千尋の神隠し」です。

バスではなく電車でしたが、釜爺さん曰く、「昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ」と。

多くの方は、「行きっぱなしってどういうこと?」と首をかしげるかと思うのですが、作中に答えはありません。…そもそも「千と千尋〜」って、私も大好きな作品なんですけれども、千尋とハクの再会って、イメージできませんよね。。視聴者の色々な疑問や想像が、ふわっと宙に溶けてしまう、そんな作品なのかな?とおもっています。

 

往路にしか乗れないバスも同様で、明確にイメージしようとすればするほど矛盾が現れてきて、結局破綻してしまいます。同じように、「毎日同じ道を歩き続けるとどんどん歩行距離が延びて、いつか一日で世界一周もできてしまう世界」も想像して楽しんでいますが、それも細部を考え出すと、どうしても「この世界」の仕組みが邪魔をして、三途の川の積み石のように瓦解してしまいます。。

 

このブログ記事のタイトルは、文末にご紹介します「論理哲学論考」(法政大学出版局)の本文の最初の1行です。こちらの本はこの一行を「1」と採番して、「1.21」までドリルダウンしていき、最後は「7 語りえぬものについては、沈黙しなければならない」で終わるのですが、往路にしか乗れないバスは、「1.21 どのことがらも、成立することができ、あるいは成立しないことができる。そしてその余のことがらは、すべて同じままでありうる」という一文を読んだときに思いついたものです。

ファンタジーに慣れ親しんでいる方の中には、魔法が使えたらいいな〜と思っておられる人も多いと思います。魔法の仕組みをどこどこまでも深く考えるれば、やっぱり「この現実」とは、矛盾してしまうわけですけれども、たとえば「強く念じることで空中で爆発が生じる」という「ことがら」が「成立」する世界であったならば、きっと魔法は実現できるのでしょう♪

…残念ながら、それは「成立しない」世界であるわけですが。。

そんなことを、この本と出会った頃に考えはじめまして、「その余のことがら」にとどまるものを色々想像する中で思いついたのが、ご紹介した私の恥ずかしい「妄想」というわけです。

 

コトバで考え、そしてコトバで他の人に説明をし、「説得」と「納得」の間のどこかに位置する相手の「理解」を得られたならば、それは「成立あるいは成立しない」ことがらなのだと、私は解釈しています。

それで、ずっと不思議に思っているのですが、「タイムマシン」は「過去や未来に行き来できる乗り物」として私たちに「理解」されていますけれども、これは果たして「納得」してしまって、よいものなのでしょうか?

問いを変えましょう。タイムマシンは、主に小説の中に登場し、物語のキーアイテムとして「成立」していますが、コトバでおおよそ理解されているからといって、それが科学の仕組みの中で実現性を云々言えるかは、また別の問題では、ないのでしょうか?

「アキレスと亀」のパラドクスについても、数学の世界では無限数という考え方でその「矛盾」を指摘できるそうですが、ただ単にコトバと「この世界」の誤差を指摘するだけでも、「競争していたらコースには幅もあるでしょうし、亀がいた『地点』をアキレスが通過する保証はないのでは?」とか、「ゴールにしても、テープで『ここがゴール』と定めてはいるものの、ゴールの『水平』さが、二人の選手にとって厳密に平等であることなんてないのでは?」と、コトバってほんとうに、「イメージ」でしかないのだな。。とおもうのですが、そんなことはありませんでしょうか?

 

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論理哲学論考:ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン

みすず書房と法政大学出版局の本は、白くて難しい本、略して「白難本」(はくなんぼん)と呼ばれているそうです。古い本(1968年刊行)で、多分最新のウィトゲンシュタイン関連書籍の方が冷静で正確なのだとおもいますが、巻頭の「ヴィトゲンシュタイン小伝」が胸熱なので、小難しい書物で感動したいときなどに、思わず手に取ります。

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