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モオツァルト!

ジャズとフュージョンのあいだには

いきなりクラシック以外のお話で、申し訳ありません。。

ジャズをある程度聴いていると、ジャズとフュージョンの違いがなんとなく分かるようになってきます。

これを言葉で説明するのは、とても難しいのですが、ミネラルウォーターのような「硬度」が、ジャズっぽい音楽にはあるように感じるのです。個人的な感想ですが、「硬い」順に私の好きなミュージシャンを並べていきます。

  1. マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー等
  2. オーネット・コールマン、キース・ジャレット等
  3. ウェザー・リポート
  4. モダン・ジャズ・カルテット、ハンク・モブレー等
  5. クルセイダーズ、渡辺貞夫等

体調がよくって気分も前向きで「頑張ろう!」というときには、マイルス・デイヴィスを聴いてもこちらも負けません。…一方で、かなり弱っているときには、クルセイダーズやナベサダを聴いていると、ほっこり癒やされるのです。

繰り返しますが、上記に挙げたミュージシャンは、全員が「マイ・フェイバリッツ」であって、チャーリー・パーカーの方がナベサダよりも偉いとか(ナベサダさんご本人は思っていそうですが。。)、そういう意味ではありません。

 

むしろこのランキングで強調したいのは、項番3のウェザー・リポートです。

ライヴ・アルバムですとどんどん硬度が上がり、スタジオ・アルバムでは軟水に近づいていくという多面性。その絶妙なバランスを1枚で味わえる名盤として、やっぱりこちらは多くの人に聴いていただきたいです。

【ウェザー・リポート:ヘヴィー・ウェザー】(1977)

ちなみに、項番1が純粋なジャズで、項番5がフュージョンというわけでも、またありませんで、クルセイダーズを「フュージョン」と言い切るのは、多分異論は少ないとおもいますが、渡辺貞夫のアルバムには、トラディッショナルな「ジャズ」もあります。あくまでも「硬度」で並べてみました。

聞き手はジャズをフュージョンより「高尚」な地位に置きたがるでしょうが、ミュージシャン当人たちが、そういう差別意識を持って音楽に取り組んでいるということは、多分ないと信じます。

クラシックとイージーリスニングの違い

ここからが本題です。

モーツァルトは、とてもポピュラーなクラシック作曲家です。…ですが、多分、現代日本のクラシックマニアの方々は、ジャズとフュージョンの喩えで言うところの、「今日はがっつり聴くぞ!」という気分のときには、モーツァルトではなくマーラーやブルックナーを選ぶと思われます。

繰り返しますがこの文脈の中で、モーツァルトをマーラーやブルックナーよりも下に見ているというわけではないです。

…ロンドン交響楽団(LSO)の下部組織で育ち、モーリス・アンドレ(1933-2012)やコリン・デイヴィス(1927-2013)を私淑しているというイギリス人トランペッターに、「モーツァルトとマーラー、どっちが好き?」とすごく不安そうな顔で聞かれたことがあります。

「もちろん、マーラーですっ!」と答えたところ、文字どおり破顔一笑で握手を求められたわけですが、その彼だってモーツァルトを馬鹿になどしていなかったはずです。

ただ、彼の口癖を借りれば「Exciting!」できる音楽が、より好みであるというに過ぎません。

 

事実クラシックを愛聴する方のうち、「リラックスできる」「よく眠れる」ことを理由に挙げる方は少なくないと思います。

…そして、そういう聴き方の方が、狭い部屋に何千枚ものCDが溢れかえってしまうよりも、ずっとずっと健全だと痛切に感じます。

そんな方々に、何千枚ものCDで狭い部屋を埋め尽くしてしまった私が、お勧めしたいモーツァルトのCDは、以下の2商品です。

【マリア・ジョアン・ピリス:モーツァルトピアノ・ソナタ全集】(5CD)

【ブルーノ・ワルター:モーツァルト集】(6CD)

ピリスのアルバムには、有名な「トルコ行進曲」も入っていますし、ワルターも「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」「レクイエム」どちらも演奏してくれています。

オペラだけは含まれませんが、数十年スパンで評価され続けているという意味でも、録音状態で言っても、演奏スタイルの王道っぷりで言っても、今後のモーツァルト演奏の未来を鑑みても、私はこの2商品(CD換算11枚)で、一生モーツァルトは楽しんでいける自信があります♪

モーツァルト演奏の近況

…他方、モーツァルトでも実験的な試みをしている人々も、少し前にいました。

クラシック界の「少し前」は、20〜30年くらい前を指しますので、私もリアルタイムに聴いたわけではありません。

そのスタイルは「ピリオド奏法」と呼ばれ、コンセプトとしては、

「昔の作曲家が生きていた時代には、今ほど楽器は進歩していなかった。だから、当時の『未発達』な楽器を使って、作曲家自身がイメージした音により近い演奏をしよう!」

というものだったそうです。

【ニコラウス・アーノンクール:モーツァルト レクイエム】(1981)

…別に「ショボく演奏するぞ!」と意気込んでいたわけではないでしょうし、あくまで「作曲者の生きた時代」に忠実に、という主旨であり、こちらのモーツァルトなどは、さほど違和感を感じませんが、Youtubeで「アーノンクール 四季」とかを検索していただくと、ちゃきちゃきとした江戸っ子みたいな演奏を、ご堪能いただけます。

ただしピリオド奏法は、主流になったわけではなく、一過性のブームのようなものでしたので、現代でモーツァルトを心地よく聴こうとすると、やっぱりピリオド奏法が流行る以前の名盤をお安くチョイスするのが、よろしいのではないかと愚察申し上げる次第です。

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