先週から25年ぶりの新作「ツイン・ピークス」をBlue-rayで視聴していましたが、やっと観終わりました!
…やっぱり25年前のツイン・ピークスだと思うのですが、謎を謎のまま残して物語が完結してしまう手法が「発明」されました。それによって後続のXファイルは延々と「終わらない物語」として描かれ、我が国のエヴァンゲリオンに至り遂に「伏線の回収を期待してはいけない」作品が誕生したのかな?と。
ブログでご紹介するのは難しいとずっと思っているのですが、「エル・トポ」という映画にもの凄く衝撃を受けました。スケールというか「狂気」という観点で、デヴィット・リンチ作品はエル・トポの監督アレハンドロ・ホドロフスキーよりも分かりやすく、大衆的で、「ああ、ここまででいいんだ」という安心感を与えてくれるように、個人的には感じています。
現代のクラシックは「マーラーの時代」であると、本ブログで何度も繰り返しておりますが、マーラーの次に流行するだろうと思われている作曲家たちも、数多控えてはおります。それらシェーンベルグやクセナキスといった作曲家たちの音楽を聴きながら、「これがいつか心地よく思える時代が来るのかな〜」と思いを巡らすわけですが、今回の新作ツイン・ピークスも同様に、これが古典になる未来を想像しながら観ることで、ものすごく「すとん」と胸に落ちる感じがしました。
今どきの物語である以上、「伏線の回収」が完璧になされるなどということはなく。。続きを観たくないのか?と問われれば、ものすごく観たいですし気になります。ただ、そういう「満たされなさ」の喚起自体が既に、映像作品の王道的手法となって久しいこと。「ここから先は、視聴者に委ねられているんだよ」というメッセージ。
「エル・トポ」そして「ノスタルジア」あるいは、「ざくろの色」といった映画は、いずれも25年前のツイン・ピークスよりも更に古い映像作品ですが、ツイン・ピークスが25年掛けて進化したその先を見せてくれるのは、やっぱりこういう作品なのかな?と予感します。
…もう、「感じる」しかない世界。その導入役を果たしてくれる今回のツイン・ピークス。前作と同様、もしかするとそれ以上に、これから何度も繰り返して観たい作品になりそうです♪
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エル・トポ:アレハンドロ・ホドロフスキー
デヴィット・リンチをウィキペディアで調べると、「カルトの帝王」という呼び名が紹介されていますが、カルトという言葉の持つ「濃さ」でこの作品と比べてしまうと、あらゆる映像作品は「薄味」に感じられます。。それは称賛とは言い切れず、生理的嫌悪感を喚起する演出に一切の躊躇がなく、完全に「壊れた」映画です。
ノスタルジア:アンドレイ・タルコフスキー
「話の筋が分からない!」でも「美しい!そうとしか言えない」…という映画です。「伏線の回収」とかの次元には既にない作品です。それだけに、25年間という時間を跨いだツイン・ピークスに感じたフラストレーションを解消するとしたら、この作品から何かを感じるのが一番手っ取り早いかな?と思ったりしています。
ざくろの色:セルゲイ・パラジャーノフ
こちらは、「話の筋がない!」のではなく、そもそも「セリフがない!」です。そういう映画もいくつも観てはおりますが、繰り返し視聴に耐えうる作品はそう多くはないとおもいます。