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モーツァルトとかベートーヴェンとか – 「ながら」聴きのオススメ盤

…私がベートーヴェンに物足りなさを感じたのは、具体的なシチュエーションは覚えていないのですけれども、多分交響曲第6番「田園」を聴いていたときだと記憶しています。

「現代人って、こんなに単純な心理状態でいられることって、稀だよね〜」

と、突然そんなふうに思えてきて、音楽そのものは心地よくはあるのですが、マーラーの複雑怪奇さに懐かしさというか親近感が、急に湧いてきたのですね。

「君、マーラーを聴きなさい。マーラーを!」

と、人生のとある時期に取引先の、N響の年間チケットなどを買っていたような社長さんにしつこく勧められていた時期がありまして、それをきっかけに少しずつ、クラシック鑑賞など、嗜むようになった私ですが、最初はやっぱりベートーヴェンが一番「偉い」のかな?って、おもっていました。

この辺りの「クラシックを好んで聴くようになった経緯」も、近々まとめたいとは考えていますが、今回は今どきのベートーヴェンやモーツァルトの聴き方?のようなものを、ご紹介いたします♪

 

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【ブルーノ・ワルター コンダクツ・モーツァルト】

…たぶん、「聴き応え」なのかな?って、おもいます。こちら6枚組のCDで、通して聴くと6時間以上になるわけですが、お部屋でのんびりと読書などをして過ごす際に、これだけ品のいい演奏のモーツァルトが延々流れていれば、それはリラックスできるのではないでしょうか。

マイルス・デイヴィスは、「今後音楽は、どんどん短くなっていくだろう」とその自叙伝の中で予言していますが、クラシックという「古い」音楽の楽しみ方のひとつのコツは、その予言を逆説的に証明するかたちで、「ある程度の時間、音に身を任せる」ことかな?と私は考えています。

歌もない楽器だけの演奏を聴くという行為自体、現代においては決して「お気楽」ではないと思います。だからこそ、「ジャズ・クラシック」は、ある種のお勉強が必要で、一般的には好んで聴かれない音楽になってしまっていると言えるでしょう。

ですので、本を読みながら、ゲームをしながら、私のようにブログ記事を書きながらの「ながら」で構いませんので、一度長い時間音楽に浸る、ということをオススメしたいです。

人気のマーラーも「交響曲全集」なるボックス・セットはいくつも発売されていますし、私なりのお勧めもあります。…ただ、マーラーの交響曲を一度に続けて聴くのは、「現代人の耳」には辛すぎます。。聴き応えがあり過ぎるのです。

ベートーヴェンの交響曲全9曲を、続けて聴くのも私には辛いですが、多分それができる「耳」の持ち主は、確実に増えていると思われます。…という次第で、モーツァルトの6枚組CDです。有名な「レクイエム」や「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も収録されており、演奏も心地よく、そして一生聞き続けられる深みも備えています。

そうですね。せっかく「レクイエム」も「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も、どちらも収録されているわけですから、最初はそれだけを聴くのでも、十分元が取れるお値段(本文章を書いている時点で、2,500円未満)であり、「とりあえずの1枚」としてもお勧めできる、不朽の名演奏であることは間違いありません♪

 

【ヘルマン・シェルヘン ベートーヴェン交響曲第9番】

こちらのCDは現在、アマゾンでも入手手段がないようなのですが、すごい「びっくり!」できること請け合いの1枚です。

Youtubeにありました!

シェルヘンの「ベト9」第四楽章

…この「壊れた」テンポが、ベートーヴェンが楽譜に残したそのままの「第九」なのだそうです。

私たちがこんにち耳にできる「第九」は、オペラで有名なワーグナーが「演奏可能なように」編曲したものだそうで、まるで三国志の曹操が注釈を書いてくれたお蔭で、「孫子の兵法書」が現代まで伝えられていることと同様、「伝承」の大切さを実感します。

これは、「ながら」聴きというよりは、ただの雑談ネタですね。。でも、こんなかたちででも、クラシック音楽に興味を持っていただけたなら、クラシックの堅苦しさを代表するような、眉間にシワを寄せた肖像画ばかりが有名なベートーヴェンが、こんな「とち狂った」作品を遺したことに人間味を感じていただけたら、私は嬉しいです♪

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