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トスカニーニとブルーノート – AMラジオについて思うこと

私「マディソン郡の橋」ならば、いつ観ても泣ける自信がありますっ!

…それはさておき、この物語の舞台は、1960年代のアメリカとのことですが、メリル・ストリープが家事に勤しむ開放的な台所で、ラジオが流れているシーンが、何故か心に残っています。(記憶は曖昧なので、あとでちゃんと観直します)

モノラルで音域の狭いAMラジオの「音」って、とある普遍的な雰囲気を備えているのでは?と私はおもっています。郷愁とか、古めかしさとか、真夏の夜とか、たぶん人それぞれに。。

 

アルトゥーロ・トスカニーニは、私のブログ記事でもよく取り上げるフルトヴェングラーの「ライバル」として一時代を築いた、イタリアの指揮者です。フルトヴェングラーの後を継いでベルリン・フィルの首席指揮者となったカラヤンですが、演奏スタイル自体はむしろトスカニーニ的とも言われています。(若い頃には、トスカニーノ?(小トスカニーニの意)というような呼び方もされたとか)

トスカニーニは、「ライバル」フルトヴェングラーが生まれた年に指揮者デビュー(19歳)し、フルトヴェングラーが亡くなった年に引退しており(87歳。その2年後に89歳で死去)、その活動時期は、フルトヴェングラー一人分という長期間に渡りますが、私たちが今日耳にする殆どのトスカニーニの録音は、アメリカのラジオ放送局NBCが、「世界の優秀な演奏家たちを集めて、トスカニーニ専用のオーケストラを作ろう!」と創設したNBC交響楽団による演奏です。

この「録音」が、よく言われる表現を借りると非常に「デッド」なもので、残響が殆どないので、硬く、冷たく、情緒がないという印象を、トスカニーニの演奏スタイルそのものに対して植え付ける一因となっています。

 

一方、ブルーノートはジャズの名門レーベルです。創立者アルフレッド・ライオンの思想が色濃く反映されたブランドで、当時ジャズ・ミュージシャン本人は二束三文の賃金で演奏しながら、その録音は「歴史的名盤」として今だにCDショップで普通に見かけるというような(情報はありませんが、「ワルツ・フォー・デビイ」でビル・エヴァンスが得たお金は、多く見積もっても今の日本円換算で20万以下ではないでしょうか?)歪んだ現実があるわけですが、そんな時代にリハーサルにもお金を出すなど、ミュージシャンを「アーティスト」としてきちんと扱う会社として信頼を築き、今もジャズ界の「ブランド」としてその名を残しています。

…ただこの「録音」が、よく言われる表現を借りますと、「ゴリゴリのサックス」「迫力満点のピアノ」というように、かなり現代の耳には「不自然」に聞こえるものが多く、私個人としては、ブルーノートレーベルの愛聴盤は、それほど多くはありません。(ハンク・モブレーなどは大好きですが、彼はブルーノート以外にほとんど作品がないのです。。マイルス・デイヴィスのバンドにいた時代の演奏はコロムビアから発売されていますが、ジョン・コルトレーンの後釜として、なんとも肩身の狭そうな演奏をしています。ウィントン・ケリーの演奏が普段以上にはっちゃけているだけに、余計に辛そうで悲しくなってしまいます。。)

 

と、並べて書いてみましたが、トスカニーニもブルーノートも、当時のアメリカのラジオで放送されることを前提に、このような音作りを志したのかな?と、思いを馳せる今日このごろです。

先見の明がある、という評価は常に褒め言葉にはなると思いますが、歴史に名を残した当事者たちは常に、その時代、その境遇で全力を尽くすことに精一杯だったのでしょう。

先見の〜というのは、誰も未来を予測できない、予想は往々にして外れるこの世界にあって、ひとつの幸運でしかないのかな。と。

…先見の明があったことで「時代を先取り」しすぎ、この現代のネットの情報の渦にも名前の見当たらないような人だって、きっと無数にいることでしょうから。

 

ただひとつ、「私」が今この世界のこの時代に生を与えられていることは、私のご先祖様が連綿と絶やすことなく、命を私にまでつなげてくれた結果であるわけで。。

人が未来に対して為しうる、数少ない確実な成果は、結局それに他ならないのかな?と、考えちゃう日もあります。特に、こんな雨模様の空の下では。

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