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自我についてわかっているいくつかのこと

「自我」のイメージをお伝えするには、「生まれ変わり」をたとえにするのがいちばん分かりやすいかな?と思います。

私が向こう100年以内に死んで、いつか再び人として生まれ変わると考えたとき、生まれ変わった私は今の私の記憶を持っていません。そして生まれ変わった私を迎え入れてくれる家族や周囲の人たちは、今の私のことを知らないし、もし知っていたとしても、今の私と生まれ変わった私を関連付けて考えることはしないでしょう。

そういう状況で、「今の私」と「生まれ変わった私」を結びつける可能性を持つ唯一のものを、「自我」と呼ぶことにします。自分の意識のことです。

 

生まれ変わりという現象自体、実在するものかどうか定かではありませんので、あくまでも自我を説明するための方便(イメージ)として使っています。ですので自我そのものも、イメージを喚起することはできるかも知れませんが、生まれ変わりと同様、それが実在するかどうかは怪しいものです。

…そして、自我が存在しないかも知れないという想像は、多くの人にとって忌諱したいこと。恐ろしいことではないでしょうか?それは、「死んだら終わり」「なにも残らない」「『自分』が消えてしまう」ことと同義だから。

さらに、「自我は存在する」という漠然とした感覚は、およそすべての人が自然に持っている「確信」に近いなにかのようにも思われます。何故なら、私たちは今ここに「存在」しておりますから。

 

もちろんこのようなテーマは、真面目な学問としても研究され続けております。「自我の正体が分かった!」と謳った本と私が最初に出会ったのは、多分東日本大震災の頃ではなかったかと思います。

その本はあくまでも「仮説」として「自我の正体」を名指ししていましたが、私が知らぬ間に傍証を携え、その仮説は真実に近づきつつあるようです。すなわち、

  • 意識は自分の言動に対する、後付けとしての言い訳である

という説です。私自身が納得した傍証を、咀嚼してご紹介します。

 

人には右脳と左脳がありますが、通常は自分がどちらを使ってものを考えているか?どちらで判断をしているか?を意識することはありません。

…ところが、重度のてんかんの患者さんに対する治療として、左右の脳を繋ぐ脳梁という部分を切断することがあり、その手術を受けると、左右の脳が独立して機能するようになるのだそうです。

まるでひとつの体に、ふたりの人間が入っているように。

この状態では、右目で見た情報は左脳が、左目で見た情報は右脳が処理をすることになります。その人の体の中心についたてを置いて、「右側の人格」と「左側の人格」を分離して、様々な実験を行った一例が、以下です。

言葉を操る言語野は、左脳にあると言われています。そこで、言語を操れない右脳、つまり左目の視野に「笑え」と書いたボードを見せると、ちゃんと笑うのだそうです。

…ただし、その人は自分が笑った理由を、ボードの文字に従ったとは言わず、実験を行った「先生の顔が面白かったから」と答えた、と。

「笑え」という文字情報がは左目から右脳に入って来ますが、それを言葉として理解し表現する能力は主に左脳にありますので、それに乏しい右脳としては「笑え」という指示に言葉としてじゅうぶんには理解できないまま従い、笑います。他方、医師の「どうして笑ったのか?」という質問に対しては、「分からない」ではなく穏当な嘘で、自分の振る舞いを正当化した、と説明されます。

 

…ヒト以外の動物に、「自我」はあるのか?と考えることがあります。

ヒトと同じように好き嫌いがあり、食べ、眠る動物は、ヒトほどではなくても鳴き声その他でコミュニケーションを図り、危機に際してはときにヒト以上に的確な判断と行動を見せます。多分、知能と自我は別のものです。

「想定」と「想像」という言葉を使い分けるならば、状況判断や未来予測といったロジカルなイメージを想定と呼び、想像とは、自分の心情を含む想定と言えるのかな?と私は思っています。

たとえば「恥じらい」の感情。これだけは、喜怒哀楽を体いっぱいに表現してくれる飼い犬を見ても、反省はあれど、恥を感じる様子だけは読み取り難く。。人が「恥ずかしい!」と感じる場合って、理知的ではおられず、その思いつきをなんとか頭の中から弾き出そうと必死で、常にそのイメージの対象は、「想像する自分の姿」であって、沸き起こる言葉は「言い訳」に終始しないでしょうか?

恥に至るような、自分自身に対するイメージの積み重ねこそが、自我の正体。道の端緒は内省。空っぽなハズの自分ノ内側ニ、「何カ」ヲ「見ヰ出ソウ」とスルコト。「見テシマウ」コト。

 

それが残酷な幸運なのか、贅沢な不幸なのかはわかりません。私個人として思うことは、私が自分の「死」を経験はしない、という確信。それは他人の「死に様」から捏造した、「私の死のイメージ」に過ぎないという徒労感。。

 

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【脳はなぜ「心」を作ったのか】

震災の前後に読んだ本です。この頃はまだ、思想というか思索、思考実験みたいな感じで捉えていましたが、多分正しいんだろうな。。とは思っていました。

【言ってはいけない】

結構評判になった本です。右脳左脳のお話は、全面的にこの本を引用させていただきました。これだけの内容を、こういう本にしてしまうということは、価値ある情報が大量にコモディティ化してしまうということで、個人的には歓迎しかねるのですが。。興味深い本です♪自我に関する記述は、著者が意図してか否か、あとがきに書かれているだけで、独立した章を用いて紹介されているわけではないところにも、センスのよさを感じます♪

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