日曜日にカメラを持って、とあるお寺を訪ねてきました。
何度か訪れてはいるのですが、私の記憶の中のこのお寺は、いつも日曜日の夕暮れの持つ、妙に落ち着いた雰囲気を湛えていて、それを確認したくって、15時前には着くように家を出ました。
山あいの細い道を抜けると田園風景が広がっていて、空はさっきまでとはやはり模様が異なり、ここは「そういう土地」なんだ、と納得させられます。
他に人はいませんでした。…観光地、というわけでもありませんし。私も、自分の中の記憶と照合したくって訪れたので、特に何かを見たいという願いもなく。。
心の高揚みたいな感情はまるでなくって、ただ、とても静謐な時間が流れる。風に満たない緩やかな空気の流れが、重たく地面を這う。その足取りに合わせて歩いていると、一通り境内を巡って、クルマのところに戻ってきてしまいます。
8月は蓮の花が見頃のようで、ひと月先ですが、時間ができたらまた行きたいと思います。
心のまま寺社に出向くといった行為、永遠に続く道のりを振り返り、何故だか新しい気持ちになれたりします。
そして一面の空氣、とても穏やかで気持ちが良かったり、様々な業を含んでいたり、静かな中であるのにも関わらずなんともまるで喧噪の中で泳いでいるような活気。
夕暮れ、朝マヅメ、
とても霊的なひととき。
そうそう。ご存知かもしれませんが、紀伊山地にある熊野奥宮の玉置神社、北関東からは遠いかもしれませんが、よい出会いがあるかもしれません。
Akinaさん
コメントありがとうございます♪
歴史ある神社仏閣は、その土地土地の「一等地」を占拠して建てられていることが
多いですから、パワースポットという言い方もそうでしょうが、災害にも強いですし、
理由のない心地よさとか、真逆の禍々しさとか、普通に感じますよね!
熊野詣も、いつかしてみたいですね♪