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日本船舶振興会のおじいちゃんはいつ亡くなったのか?

戸締まり用心火の用心のCMが懐かしいです

【日本船舶振興会のCM】

平成生まれの方は、ご存じないとおもいますが、ものごころつくかつかないかの頃のわたしにとって、こちらのCMは謎でした。

 

少し調べるといくらでも情報が出てきますが、笑顔のおじいちゃんは「笹川良一」。…サブカル的に言うと、麻雀漫画「アカギ」の鷲巣のモデルだったり、実際政財界を巻き込んだ戦後の日本でもっとも「胡散臭い人物」といえるかとおもいます。

「悪名の棺」という本を読みました


著名人、それも権力を持つとなれば、スキャンダルはいくらでも出てきますし、わたしも大人になってから笹川良一という人に対して抱いたイメージは、「悪の黒幕」のようなものでした。

 

ちょっとお話が逸れますが、ダイエーの創業者「中内功」という方の人生って、関連書籍を読んだことはありませんが、興味を持っています。

ダイエーが大企業だった頃は、「天才経営者」ともてはやされ、その後凋落し、鬼籍に入った現在では、ライバルと呼んでよいであろう「松下幸之助」とは比較にならない評価しか、なされていません。

…存命の方で比較すれば、ソフトバンクの会長さんと、アスキーの創業者さんみたいな感じかと。。(後者の「西和彦」、覚えていらっしゃいます?)

 

この本を読んでいて、一気に笹川良一に対する興味が湧いたのは、中内功の訪問を受けたときのやり取りのくだりでした。

「おかげさまで、巨万の富を築くことができました」

と挨拶する、絶頂期の中内に対し笹川は、

「それで、君はその金をあの世に持っていく方法は見つけたのかね?」

と言い残し、そそくさと離席してしまったそうです。

 

…そして、中内はダイエーがイオングループに吸収される前後に没していますが、笹川の没年は、意外と知られていないのでは、ないでしょうか?

笹川良一(1899年5月4日〜1995年7月18日)

歴史に名を残す人物の常で、表の顔と裏の顔が笹川にもありますが、没する半年前には、出身地でもある大坂で、阪神淡路大震災が起こっています。

…この時点で存命だった笹川が、震災の復興に目立った活躍はしていません。

本の記述にもありますが、90歳を過ぎても精力的に活動を続けた笹川も、最後の1年ほどは「ただ死を待つ」だけの老躯と化し、震災の報にも反応は薄かったそうです。

 

阪神淡路大震災では、有名暴力団によるボランティア活動など、様々なドラマがありました。

東日本大震災でも、ソフトバンク会長による100億円の寄付は、忘れられないニュースです。

 

せめてあと半年、笹川の精魂の尽きるまでに猶予があったならば、少なくとも「鷲巣のモデル」という言われ方は、しなかったのかな?と、想像…いえ、本書に描かれる笹川の「英雄」的部分を話半分としたとしても、わたしたちにはおよそ「想像」のつかない規模の活動を「必ず」したはずです。

この方「日本船舶振興会」などと、「おフネ」に興味を持つ以前の若い頃は、当時日本には数少ない飛行機乗りで、自分で操縦した飛行機でヨーロッパまで飛び、ムッソリーニに謁見していたり、巣鴨プリズンでの人脈作りのために自ら戦犯になってみたり、B級C級戦犯の方々やその遺族に対する滅私の奉仕など、現代の感覚で言っても破天荒です。。

このできごとが晩節を汚したとは言えない、もう、日本の実業家で言えば、渋沢栄一と比肩しうる唯一のビッグネームで、清濁併せ呑んだ人生だったのでしょうが、ノーベル文学賞という栄誉を得た「幼馴染」川端康成と比べても、世間の評価としては「胡散臭いおじいちゃん」で終わっちゃったのかな〜。そういう運気の人だったのかな〜。

と、読了後自然と沸き起こる親近感を加味しても、そうおもいます。

 

【渋沢家三代】も少し古いですが、オススメの本です♪

栄一:「ワシがその気になれば、岩崎(つまり三菱財閥)など比較にならないくらいの財は築けた。本当じゃぞ」

…というセリフが、結構好きです♪

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