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バーバーのアダージョ 〜モノラル演奏のため(?)のクラシック〜

どこかで聞いたことのある名曲

アメリカの作曲家サミュエル・バーバー(1910-1981)の「弦楽のためのアダージョ」は、多分曲名は知らなくとも、どこかで聞いたことがある、という方も多いのではないでしょうか?

幸いNAXOSが、動画をアップロードしてくれています♪

【ナクソス・クラシック・キュレーション:バーバー 弦楽のためのアダージョ:ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団/マリン・オールソップ(指揮者)】

わたし自身、この曲とは偶然に出会いました。

【チェリビダッケ・エディション:フランス&ロシア音楽編】

このボックスセットに入っているチャイコフスキーの悲愴が欲しかったのですが、たまたま聴いた10枚目のCDに、こちらの「アダージョ」が入っておりまして、第一印象は、

というものでした。

興味を持って色々と調べる中で、以下のことが明らかになりました。

 

…そして、色々と聴き比べた結果、わたしのフェイバリットはコチラとなりました♪

【アルトゥーロ・トスカニーニ&NBC交響楽団】

…モノラル録音です。未だ作曲家の著作権も有効な新しい曲ですので、演奏もステレオの新しいものを、色々と聴き比べたのですが、モノラルというハンディを背負ってなお、わたしにはトスカニーニの演奏が、一番心に響いたのでした。

ただの個人の感想でしか、ありませんが。。

モノラルで聴くと感動する音楽

クラシックについて言えば、「バッハ」も「モーツァルト」も「ベートーヴェン」も「ワーグナー」も、自分たちの音楽がモノラルで聴かれるという可能性は、考慮していなかったはずです。…なぜかと申しますと、当時はそもそも録音という技術もおそらく発想もなく、すべての音楽体験は「ライブ」だったからです。

そして、現代の「音楽」がモノラルで提供されることは、ほぼないとも言えるでしょう。

すると「モノラルで聴く音楽」あるいは、「モノラルで聴かれることを考慮された音楽」というのは、とある時代にだけ存在した、ある意味貴重なものなのでは?と、言えるのではないでしょうか?

わたしの頭に浮かぶ、「モノラルだからこその名盤」の筆頭は、こちらです。

【ザ・ビーチ・ボーイズ:ペット・サウンズ】

リーダーのブライアン・ウィルソン自身の聴力障害により、「自分が聴いている音をファンに届けたい」と、モノラル盤を販売したという逸話があります。現在ではモノラル版とステレオ版どちらも聴くことができますが、物悲しさを乗せた音、というか感情の「かたまり感」は、モノラル版の方が強いのでは?と、わたしなどは感じております。

そして、こちら「バーバーのアダージョ」は、初演が1938年、わたしのフェイバリットであるトスカニーニの手によるものであるようですが、生演奏がモノラルということはあり得ない一方で、当時のAMラジオでもって、おそらくモノラルの音が、全米のリスナーの耳に届いたのでは?と想像しています。

作曲家バーバーにとっても、トスカニーニという当代随一の指揮者による初演は栄誉でしたでしょうし、そのトスカニーニはおそらく、「モノラルで聴かれる自分の音楽」をジャズのブルーノートを率いたアルフレッド・ライオンと同様に、意識していたのでは?と、わたしは考えております。

…都合のよい解釈ですが、カラヤンがこの曲を1960年代以降は自分のレパートリーから外したということも、再生音楽のステレオ化という時代の変遷と、無関係とは言い切れないのではないでしょうか?

 

わたしが最初にこの曲と出会ったチェリビダッケですが、この指揮者さんはなにしろ、「オレはフルトヴェングラーよりも耳がよい」ということを生涯誇りとしており、実際この音楽家の魅力は、「録音では捉えきれない」ほどの音色の美しさにあると言われています。

バーバーのアダージョも、本当に美しい音なのですが、それでも、わたしはトスカニーニ版を選んでしまう。。

 

アマゾンの評価などを見ても、バーンスタイン版の評価が高い、というよりも他に名のある指揮者のCDが限られているのですが、もし、この曲をお気に召した方がいらっしゃいましたら、ぜひ初演者トスカニーニのモノラル演奏にも、触れていただければとおもいます♪

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