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ブーニンはどこへ消えた

かつて、ブーニン・フィーバーがあった

…20代の方とかはご存じないと思いますが、スタニスラフ・ブーニン(1966-)というクラシック・ピアニストが、バブル期の日本で大ブレイクしました。

実は、私も当時の状況を知っているわけではなく、ブーニンの演奏は今回Youtubeで見つけて初めて接したのですが、圧倒されるくらい、歯切れと見栄えがよいですね!!

…ところが今、この人の名前を聞くことはほとんどありません。

Wikipediaによると、現在は日本人の奥さんと日本で暮らしており、時折演奏会も開いているようですが、録音の機会はほぼ皆無らしいです。

こちらはユニバーサル・ミュージックから発売されている2014年録音のアルバムです。

…ただし「日本独自企画」とのことで、ヨーロッパの楽壇とは距離を置いている現状が伺えます。

ほかの「2015年発売」となっているCDたちは、いずれも20年ほど前の「リイシュー版」です。

あんなにかっこいいのに。。

何故、音楽家として大成できなかったのか?正直不思議です。

センセーショナルだったけれども、年とともに芸の深みを増すことに失敗したというのであれば、カルロス・クライバーも大差ないかと思うのですが。。

…あくまでも「クラシックCD蒐集家」からの目線ですが、原因は「ショパン」にあるのでは?とおもいます。

「パッヘルベルのカノン」や「エリーゼのために」や「ショパン」を、私も好きだった時代はあります。

…ところが、今思い返すと恐ろしいことにこれらの音楽は、

「クラシックを聴くようになってからは、まったく聞かなくなった!」

と思い至ります。

例えばバッハの「G線上のアリア」については、あくまでも「J.S.バッハ 管弦楽組曲第3番第2楽章」としてしか聞かなく(聴けなく)なりました。。

…ショパンを聴く唯一の例外は、録音史上もっとも痛ましいできごととも言えるディヌ・リパッティのラスト・リサイタルそれのみです。

…私のリパッティ・ライブラリの中に、「子犬のワルツ」がないか、調べてみようと思います。(「別れの曲」は、たぶんないです。。)

もちろん、才能に恵まれた人すべてが、スターダムにのし上がることを望むわけではないでしょう。平和な我が国で、慎ましやかな人生を送る選択をされたのやもしれません。

…でも、やっぱり、「ショパン」なのかな?と。

もし、この方の音楽の個性がショパンではなくベートーヴェンに適合していたならば、生き方はともかくレコード会社の扱いは、変わったのではないかと、そう思うのです。。

シェナンドー

こちら、シェナンドーという曲は、アメリカ民謡だそうです。
長い間歌い継がれてきた曲には、音の止む息継ぎの「間」にさえも、なんとも言えない感情の塊みたいものを感じて、思わず涙腺が緩くなります。

…何度もしつこくご紹介してしまい恐縮ですが、こちらのキース・ジャレットのアルバムの9曲目にも、本「シェナンドー」が取り上げられています。

若い頃は、鬼気迫るアドリブだけで60分以上を弾ききってしまったようなピアニストが、ここでは丹念に、そして控えめに、音符を並べています。その中でもとくにシェナンドーは、構成も単純な曲。

…ところが、アマゾンのレビューでも皆が口を揃えて言うのです。

「シェナンドーがいい!」

と。(私は本音では、2曲めの「I Got It Bad And That Ain’t Good」の方が好きですが、次に好きなのはやっぱりシェナンドーです)

静かに音を「置く」タイミング。ただそれだけで比類なき個性を表現し、「イージー・リスニング」になることを拒絶しています。

クナッパーツブッシュという指揮者にも似た部分があります。テンポの「溜め方」が、いくら聴き込んでも一致しないのです。ただの「再生音」なのに!

そして「間違う」たび、録音のテンポの「正しさ」を痛感するという。。

 

…クラシック・ピアノ界で、「円熟味」を増すことに失敗したブーニンと、ジャズ・ピアニストとして、年老いてこれほど深みのある音楽を生み出しても、「彼の本気はあんなものじゃない!」とか、未だに言われ続けてしまうキース・ジャレット。

いちリスナーとしては、無責任ですが、どちらの才能も幸多き人生でありますよう、祈念するのみです。

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