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カルロス・クライバー – 天才が「飽きる」とどうなるか?

芥川賞の賞味期限は10年

という記事を目にしました。芥川賞を受賞して、10年後も職業作家でいられる人は少数派であることを、当の出版業界が揶揄した言葉だそうです。

小説というジャンルの芸術で「純文学」は今、南総里見八犬伝の逆襲に遭っているのでは?と個人的には思っています。

それはともかくとして、世間を騒がせる才能が登場し、ずっと第一線で活躍を続けるというのは、冷静に考えると驚異的なことです。

…好きな作家、漫画家、音楽家が、「次回作」を公にしてくれる保証など、どこにもないのですから。。

「天才指揮者」カルロス・クライバー(1930-2004)

クラシックのネタばかりを書いておりますが、クラシックにお詳しい方に有益な情報を、私ごときがご提供できるとはつゆぞおもっておりませんので、そうではない方に向けてカルロス・クライバーという指揮者について、簡単にご説明申し上げます。

よろしければ、以下の7分の動画をぜひご覧ください。

【カルロス・クライバー:ベートーヴェン交響曲第7番第4楽章】(1986)

こちらの映像は、1986年の来日公演をNHKが撮影したもので、数年に一度放送されることで(マニアの間では)有名なものです。

…日本テレビが「金曜ロードショー」でジブリ作品を放送するのにも似て、「蔵出し」の意味合いの強い「とっておき」の映像です。

この演奏自体、「クライバーのベートーヴェン7番のベスト!」の声も高く、海賊版CDが出回っています。(私も持っています。。)

ときに日本はバブル経済の真っ只中。クライバーのチケットは10万円するとも言われ、かつ「キャンセル魔」としても有名だったことから、当日になるまで本当に聴けるのかどうか分からない、という謎の緊張感もあったそうです。

メディアのインタビューも拒否し続け、仕事も厳選した彼の「ブランド価値」は、どんどんと上がっていきました。

…映像をご覧いただき、

「で、どこが天才なの?」

と思われる方も多いかと存じます。せいぜい、

「クラシックにしてはお上品ぶっていないし、それなりにスリルも感じる」

そんな感慨を抱かれるくらいでは、ないでしょうか?

実際そのとおりだと思います。

この演奏、そして映像は、クラシックファンにとってたまらないものであることは間違いありませんが、クラシックに興味のない方に訴求できるほどの力はないやもしれません。

…私自身は、カルロス・クライバーが大好きでが、そんなふうに考えるようになったのは彼の古いモノクロ映像を見てからでした。

やる気のない天才は存在しない。天才になってやる気を失う。

「キャンセル魔」とご紹介したことからも明らかなとおり、プレミアムな指揮者であったクライバーはあまり仕事(演奏)をしていません。また、演奏する曲も極めて限られており、ベートーヴェン交響曲第4番を3日続けて演奏したこともあるそうです。従って、入手できるCDもとても少ないです。

こういった類の「わがまま」を私たちが理解するために、「天才」という言葉があるようにさえ思いますが、そんな彼も、自分で音楽家を志し、才能と努力と幸運の末、その地位に登り詰めたことに変わりはありません。彼の音楽人生を辿ってみましょう。

 

カルロス・クライバー(以下、カルロス)は、著名な指揮者エーリッヒ・クライバー(1890-1956)の息子でもあります。言ってしまえば一流芸能人であった父は、息子が自分と同じ「芸事」の世界に進むことに反対し、まっとうな教育を受けさせますが、それを押し切って20歳のときに3人の個人教師を雇い、音楽の勉強を始めます。

彼の伝記映画では「早くしなければ!」という本人の言葉が紹介されていました。

これは我が国で例えれば、

と表現すると分かりやすいかもしれません。。私はオザケンのソロ1枚目が好きです♪

…それはさておき、初期のカルロスは、「へたくそなピアノ伴奏」「無給指揮者」「個人指揮者(?)」などの言葉で形容され、「彼があんなにすごい指揮者になるとは思っていなかった」人がほとんどだったそうです。…ほとんど、というよりも、「指揮者志望の若者カルロス・クライバー」を知る人全員だったのでしょう。

クロスロード伝説

とは、特に才能を嘱望されていなかった若者が、(傍目には)突然才能を発揮してミュージック・シーンのトップに躍り出る現象として有名ですが、カルロスが特に「悪魔に魂を売り渡した」という話は聞こえて来ません。

【カルロス・クライバー:ワーグナー トリスタンとイゾルデ】(1974-6?)

…などと申し上げつつ、亡霊のような映像をご紹介しておりますが、カルロス44~46歳の頃のバイロイト音楽祭での指揮の様子を捉えたものです。

半袖姿なので、リハーサルなのでしょう。不鮮明ながら、40分超のこちらの映像、私は魅入ってしまいました。。

特に4:40あたりからの、カルロスの動きと音のシンクロ率が尋常ではなく、「音を紡ぐ」「自分は一音も発することなく音楽を作る」とは、こういうことかと思い知らされました。

【カルロス・クライバー:ウェーバー 魔弾の射手(リハーサル)】(1970)

こちらもおそらく、NHKが過去に放送したものではないでしょうか?丁寧に日本語字幕付きで、40歳のカルロスが情熱的に「自分の音楽」をオーケストラに伝えようとしている様子が、克明に記録されています。(モノクロながら画質も鮮明です)

冒頭いきなり、「誰かが弾き始めるまで音を出さないで!」とか無茶なことを言い始めますが、彼の言葉を聞き、指揮棒を振る姿を見ていると、「彼の理想」がこちらにまで伝わってくるようです。そして「こう弾いてほしい」と自分で歌い始めるに至って、「あ、そうなんだ!」と腑に落ちてしまう感覚。

…ふと、この人を思い出しました。(顔はF1レーサーのミハエル・シューマッハみたいですが。。)

【スティーブ・ジョブズ:Mac OS Xのプレゼン】(2000)

晩年

2004年に亡くなったカルロスですが、21世紀に入って以降は一度も演奏をしませんでした。

「やる気を失った」とは、無責任かつ想像力を欠いた素人のたわごとに過ぎません。ですが「プロの音楽家」としてその「芸風」は、74年の生涯のうち最後の20年は特に進歩はなかったのではないかと、遺された録音を聴くだに感じます。

とりわけ、情熱に満ちた若かりし頃のリハーサル映像を観るにつけ、どうしても気になってしまうのはカルロスの「腕」です。

指揮ぶりにも声にも、天賦の表現力を宿していたカルロス。…ところが本番では、声を出すことも半袖になることもできません。。あの「筋肉の盛り上がり方」ひとつで、どれだけ豊穣な表現をしていただろうかと、そんなことを考えてしまうのです。

 

60歳前後で、ウィーン・フィル恒例のニューイヤーコンサートを優雅に指揮していますが、当然の正装と若さの喪失。

そのあたりからカルロス・クライバーという指揮者を知った私にとって、彼は確かに「観ていて楽しい指揮者」であり、それ以上の存在ではなかったように記憶しています。…本番の指揮台の上では、特にやることもなくて踊っていたのでしょうか?

 

2003年に夫人に先立たれ、翌2004年にカルロスは6時間のドライブ(仕事を受ける条件に無茶を言ったらもらえてしまった、フルオプション付きのアウディA8かどうかは不明。CDは自身のブラームス4番が入っていたそうです)の末、婦人の故郷に所有している別荘をひとりで訪れました。

2日後、窓を閉め切ったまま外出もしない様子を見かねた村人が、彼の娘に連絡をします。

そして、机にうつ伏したまま息絶えたカルロスを発見したそうです。

 

「天才が飽きるとどうなるか?」という記事タイトルにしてみましたが、カルロス・クライバーについて話をまとめるならば、確立した自分のスタイルが「ブランド」としてどんどん価値が上がってしまい、キャリアの後半はその「焼き回し」で糧を得ていたような、そんな印象があります。もちろん、当人の苦悩をすべて無視した傍目からの印象に過ぎません。

「スポーツ的演奏」という評価を下す批評家もいましたが、確かにこれが「プロスポーツ」であったならば、確立した技術で成績を残せることは「惰性」ではなく「節制」と、称賛の対象となったでしょう。こちらも、当人の日々の努力を斟酌しない発言です。

 

クライバーを「間違いなく天才」と評したカラヤン(1912-1989)は、クラシックを超えた知名度を現在でも維持していると言えるでしょう。彼は晩年、

「私にはまだやりたいことがたくさんある。だから神は私に新たな肉体を与える義務がある」

と言いのけたそうです。そして当時のソニーの社長大賀典雄の訪問を受ける中、81歳で亡くなりました。

「オレは天才ではないが。。」と言い続けたマイルス・デイヴィス同様、カラヤンが「天才」だったかどうかはさておき、その新作や次の公演を心待ちにしているファンにとって、死ぬまで自分の仕事に情熱を傾けてくれる「プロ」には、信頼が置けます。

別に天才や芸術家に限ったことではなく、死ぬ直前まで元気で快活に生き、ぽっくり逝く

いずれ人も寿命を克服するのやもしれませんが、過去のすべての先達同様死が免れぬ運命である限りは、私もそうありたいと願っています。これはもう単純に、カルロス・クライバーのような晩年を誰が望むのか?そういうお話です。

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