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セカンド・パールハーバー

不謹慎なタイトルで、申し訳ありません。。

安倍首相、長い間おつかれさまでした。

メディアの方も忘れてしまったのか、アメリカのトランプ大統領就任前、日本政府はヒラリー・クリントン氏を支持する立場でした。

…それが、予想を裏切ってトランプ氏が当選した直後の、「すぐ行くから!」「もう飛行機乗っちゃったから!」という、安倍首相の奇襲外交は、外務官僚の描いた「シナリオB」を演じたに過ぎないとしても、本当にパールハーバー以来最大の対アメリカ電撃作戦だったと思います。

この行動ひとつを取っても、わたしには安倍首相と同じことをするのは無理です。職務を最優先し、ご自身のプライドや私心をぐっと抑え込んだ大英断でした。

その後の我が国の、国際社会における地位向上は、多くの日本国民が認めるところかと思います。

捕鯨反対組織に対する、我が国の立場を明確にしたのも、この件以降の動きだったはずです。

 

もちろん、いろいろなスキャンダルもありました。

ですがわたし個人としましては、戦争を始めない限りは、あらゆる政治家さんへの評価は、少なくとも死後50年間は下さないつもりです。

ですので、安易に「戦争」という言葉を口に出される方を除いて、あらゆる政治家さんには基本的な敬意を払いたいと思っています。

 

…へんなことを申し上げたついでに、ものすごくデリケートなことも、述べさせていただきます。

2002年、時の小泉首相が、北朝鮮の最高指導者と会談をし、北朝鮮側が「拉致してました。ごめんなさい」と謝罪しました。

…結果、いろいろあってそれまで認められていた万景峰号も日本に入港することができなくなり、日本と彼の国との関係は一層冷え込むこととなりました。

もちろん、拉致事件を認めた以上、日本は「被害者」であって、誠意ある対応と、被害者全員の帰国を強く認めなければなりません。

…しかしながら個人的には、「横田めぐみさんの遺骨とされる土をDNA鑑定した結果、めぐみさんのものとは確認できなかった」ことは、それによってめぐみさんの生存という一縷の望みが繋がったご家族以上に、金正日にとって「絶対に許せない!」出来事では、なかったでしょうか?…何人もの北朝鮮当局関係者が、当たり前に処刑されていることも想像できます。

  • 独裁国家元首としてのプライドを曲げ、拉致事件を認めて「ごめんなさい」と謝った金正日。
  • 誠意ある対応を約束するから、これから仲良くして欲しい、という思いがそこにあったはず。
  • 遺骨調査にも応じ、報告をしたところが、「これは偽物!」ということになり面目丸潰れ。
  • 仲良くなるどころか、日本人の被害者感情に、油を注ぐ結果となってしまった。。

…金正日が嘘をついたと考えるよりも、実際の対応を任された人物の「ミス」と考える方が自然ではないでしょうか?

 

言うまでもないことですが、これからあくまでも「北朝鮮内部での問題」であり、我が国から見れば、その怒りがその国の代表者に向くことは当然です。

どういった「対応」を北朝鮮が想定していたのであれ、彼らの思惑とは真逆の結果となりました。金正日自らが、DNA鑑定結果を確認することも考えづらいですが、これが北朝鮮という国家の「国力」「外交力」であったとは明確に言えると思います。

再び、安倍首相について。第一次安倍政権時の首相に、果たしてセカンド・パールハーバーは遂行できたか?

…どう考えても、「無理」ですよね。。

もちろん、次期首相をどなたがおやりになっても、次のアメリカ大統領選挙の結果に応じた最適な対応を取ることは、困難だと思います。

いろいろなご意見。人それぞれの「安倍総理」に対する評価、感情から、こう申し上げることに賛同をいただけるとは思ってはいないのですが、

  • 若いうちに、政治的失脚以外のかたちで一度総理大臣職を離れられたことは、安倍晋三氏および日本の外交にとって、結果的によかった。

と、わたしは捉えております。…再登場直後は、ものすご〜くげんなりとした一人でも、ありますけれども。。

…長期政権の弊害は確かにありました。体調ご寛解後、もし院政を敷かれるようなことになれば最悪。。とは、わたしも考えますが、野に下り、すご〜く無責任な評論家さんになってしまった小泉元首相、鳩山氏の二の舞、三の舞となられるよりは、責任ある立場に残っていただき、国家の危機には、再度その外交手腕を奮っていただきたいと、切に願います。

潰瘍性大腸炎は、指定難病です。第一次安倍政権当時、潰瘍性大腸炎患者さんと身近に接しておりましたので、わたしもその苦しみはある程度存じているつもりです。

原因は不明。「寛解」はあっても「完治」はありません。ですから一度首相をお辞めになったあと、新しい治療薬が承認され、それが安倍氏の体質に「合った」からこそ、再びの登壇となったと理解しております。

…患部は大腸ですので、薬で炎症が抑えられない場合には、肛門に近い方から段階的に、大腸を「切除」してゆくことで、炎症部位を縮小させてゆくことになります。

クオリティ・オブ・ライフを鑑み、若いうちはできるだけ器官を残しつつ、平たく言えば「もう80歳だから、痛みが耐え難ければ大腸全部取っちゃうけど」的な判断がなされます。

我が国の将来のためにも、ストレスからの解放により速やかに寛解されることを、祈念申し上げます。

まだ、「完全に過去の政治家」には、なっていただきたくないです。挫折が政治家としての成長を促すことを、身を以て証明なさったのは、他ならぬ安倍さんご自身で、いらっしゃいますから。

 

…ただ、余談の余談の、極めて個人的なやっかみですが、東京オリンピックがもし、中止になるのでしたら、無責任に嬉しいです♪

それに向けて頑張っておられる、特定競技の才能に恵まれた方には申し訳ない気持ちもありますけれども、そういった方々の努力と栄光が、それを応援する人たちに非生産的で無駄に興奮した時間を提供するという世の中のしくみが、わたしにはどうしても意味あるものとは、思えないのです。。

数十年思案し続けておりますがスポーツ観戦は、やめた方がより豊かな人生を送ることができると考えます。

さしあたっては、応援している選手の試合結果をウェブなどで確認して、「よし!自分も頑張ろう!」と励みにする程度に留める方が、ずっと人生の時間を有効に使えます。

ウェブのニュースもカスタマイズで、スポーツ関連記事は非表示にできるようにしていただきたいです。

セカンド・パールハーバー” に2件のコメントがあります

  1. こんばんは、あらゆる分野に造詣が深いよるそらさんの見解は感心しました。また個人的なオリンピックに関するやっかみ?の件ですが何か余程の事情があったのですね?

    1. 江田島さん。こんにちは♪
      ブログにもコメントをくださり、ありがとうございます❗
      また、わたしのことをご心配をくださり、とても嬉しいです❗
      じつはとくに、オリンピックやスポーツには関心がないのですが、人生のあるとき「あ、そうなんだ❗」と、人類史におけるスポーツ観戦の意義について、気づいてしまった瞬間が、あったのです。
      こういう意見が、今の世の中に受け入れられづらいこと。スポーツ観戦を愛好する方々に不快な思いをさせてしまうこと。プロのスポーツ選手として活躍されていらっしゃる、素晴らしい人間性を持つ方々がたくさんおられることも、理解はしているつもりなのですが。。
      わたしがこんなことを考える理由や、来たるべき世論の変化がどんなものであるかを、ご説明することは難しくて、ですね。ただ、タバコ文化と同様、それは人類史の一部でありながら、いつかは否定され、なくなってしまうだろうな〜、とは、ほぼ確信しております。。
      へんなことを申し上げ、ごめんなさいね。
      よるそら。

      追伸:
      江田島さんのお優しい心は、こちらのわたしの文章が誤解され、読んでくださる方の心象を悪くすることを、懸念してくださっています。
      考察の裏付けというのは、難しいのですが、およそわたしが申し上げていることは表層的には、プロの文筆家では池田晶子さんの受け売りです。「スポーツ選手の努力は尊い。でも、そのスポーツ選手の努力を一般市民が過度に称賛し、結果ご自身の努力の機会をないがしろにしてしまうことは弊害である」的な。
      そして、同じく既に亡くなられた立川談志さんもかつて、「プロ野球が本当に『正々堂々とした真剣勝負』であるならば、本来審判は要らない。自分に都合のよい『誤審』にだんまりを決め込むのではなく、自分が不利になってもそこは自己申告すべきだ」と仰っていたことなど、から、わたしなりに考えた結論です。
      …少しずつ減ってきているとは思いますが、やっぱり今の世の中、スポーツ観戦に関心がないにも関わらず、それにお付き合いさせられるような、「スポーツ観戦ハラスメント」的なものは、あるとおもうのです。(もっと言ってしまえば、ビーチハラスメントというものもあります。日焼けしたくない人にとって、夏の砂浜は地獄でしかありません。。)
      …なんでもかんでもハラスメントという旗頭で、自分を正当化しようという態度にも問題はありますけれども、とくにスポーツ観戦については、それを美化する傾向が強いように感じています。
      大坂なおみさんが、ご自身の思いをマスクなどで表現することに、なんの問題があるのでしょうか?「スポーツ選手は政治・思想と関わるな」…これは勝手なイメージの押しつけであり、その根底にはスポーツ観戦の「アスリートは聖人君子である。我々はそれを応援し、称賛することで、『美しい世界』に触れられるのだ」的、他力本願な宗教と同じ構造があるとおもっています。「才能というギフトを持つ選ばれた人が頑張ればいい。庶民はそれに敬意を払えば、極楽浄土に行ける」というような。
      …このあたりはたぶん、ニーチェの「ルサンチマン」によって、一世紀も前に人類は乗り越えたはずなのだけれどもな〜。と、もちろん、「超人」を目指すことはとても難しいですけれども、でも意識として「才能を持つ人に、自分がすべき努力を肩代わりさせる」姿勢は、やっぱり人類として、数世紀のうちになんとかしたいですよね♪
      よるそら。

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