王様と私?
「王様と私」という作品は、「The King and I」が原題である一方、「アンナと王様」になると、「Anna and the King」であるらしく、王とアンナの序列に色々な思惑が垣間見えて、複雑な気持ちになります。。
「フォレスターとわたし」については、一応オーナー権限で(?)、けっして「よるそらとフォレスター」にはするまいと、最初から決めています。
今回はお恥ずかしながら、一応ギャラリーブログです。^^;
…その~、繰り返しになってはしまうのですが、わたしはフォレスターを「かっこいい!」とは、いまだに思えておりませんで、でももちろん大のお気に入りで、無類の頼りがいも感じています。…夜中、なにもない荒野で得体の知れないものと遭遇しても、フォレスターと一緒ならばなんとかなると、信じられるくらいには。。
わたしの語彙でフォレスターを讃えるならば、「鷹揚」という言葉になるでしょうか。どこかの試乗レビューで自動車評論家さんが、新型フォレスターを「ふくよか」と表現されていましたが、単なる日本語の誤用だと、理解しています。
モビルスーツ?モバイルスイート!
重ねてどうでもよいことですが、ともに「Mobile Suits」ですね♪
現代では「モバイル機器」を「モビル機器」とは言いませんし、ホテルの「スイート・ルーム」も、「スーツ・ルーム」では、ありません。
…なにが言いたいかと申しますと、「巨大ロボット」が少年やおとな男子に人気なのは、人とロボットの比率に、秘密があるのかな?ということです。
アメリカ映画で、ランドクルーザーよりも巨大なクルマに、プロレスラーのような巨漢の男性が乗っているようなシーンがよくありますが、…まあ、クルマ全般が男性にとっては「ツール(ギア?)」「相棒」みたいな、対等な関係にあって、それが「クルマと女性」の対比になると、「ロボットとパイロット」みたいな力関係に、見えるのかな?と。
古い本ですが、内容を剽窃しますと、
- ガンダムは、コックピットがお腹にあるので女性。
- ジオングは、コックピットが頭部にあるので男性。
なのだそうです。
…著者の先生には一時期お世話になっていたことがあり、「ものすごくご都合主義ですね!」と忌憚のない読後感を申し上げたところ、「そのとおり!だからこそ構造主義では、自分が描きたい『構造』のデザインの選定が大切なんだ。それを間違えると、なんでも言える分、とんでもない結論になってしまう」と、おっしゃっておられました。
「ロボットと男性」という、(おとな男子を含む)少年たちの夢が、「大きなクルマと女性」に「投影」されているのかな?という、はい。構造主義的無責任な、わたしの感想でございました。
…実際、ツーリングアシストを使わないとわたし、いまだに「カックンブレーキ」ですけど~。