タダで聞いてもらうために生まれる音楽
…どうしても古めかしい、西洋のクラシック音楽のお話に、なってしまうことをお許しください。
たとえばバッハの時代、「音楽家」という職業はかなり社会的地位は低かったと言われています。
見下してよい職業など、存在しませんが、わたしがなんとなくイメージするのは、映画「ベニスに死す」に出てくる道化の音楽隊でしょうか。
マイルス・デイヴィスも言っていました。
「オレたちは道化をするために音楽をやっているんじゃない」
「だが、ルイ・アームストロングやディジー・ガレスピーが、白人に媚びるような笑顔を作る気持ちは理解できる」
と。
つまり、ショーマンシップを発揮する必要が、あったということではないかと。
カトリックの世界でも、「芸術」つまり絵画や彫刻の方が格が上で、音楽は「それがあまりにも直情的に民衆を刺激する」がゆえに、一段下に置かれていたそうです。
今の時代、ご自身の作品を著作権フリーで使わせてくれる、篤志家の方々がたくさんおられます。
そして最近わたしは動画を撮りはじめまして、フリーで使用させていただける音楽素材は、ありがたい限りです!
…が、実際には手が伸びません。
背景を背負った音楽たち
わたしが動画の素材として使わせていただいている音楽は、以下の二通りです。
1.著作権の切れたクラシックなどの演奏
演奏記録(レコード)は、それが録音された日から50年後に、著作隣接権が失効するので、2018年が完了した現時点では、1968年以前の録音がそれに該当します。
…ただし、ビートルズの楽曲がフリーで使えるようになったというお話は、聞きません。アメリカでは50年から70年に延長したとか、著作権者の名義が個人の場合、その人の死後50年とされるとか、情報は錯綜しており、誰かの右に倣うことが一番確実かとおもいます。
わたしもフルトヴェングラーは使わせていただいておりますが、トスカニーニの「盤起こし」はあまり見かけないので、様子見をしております。。
2.日本ファルコムの楽曲
日本ファルコムは、我が国のPCゲームの歴史を支えてきた老舗ソフトハウスですが、近年「うちの音楽は、コピーライトを明記してくれれば自由に使ってくれていいよ」と、豪気なことを言い出しました。
わたしもファルコム作品には、思い入れの強いものがいくつもありますので、広く浅くではなく「この世界観の映像には、もうこの曲!」的に、大切に使わせていただいております。
ふたたび、タダで聞いてもらうために生まれる音楽について
音楽家の「アマチュアリズム」についてですが、自分の大切な作品を無料で公開してくださっている方々は、もちろんそれを、「多くの人たちに愛してもらいたい」と望んでおられるわけですが、将来的に多くの人に愛されることになる作品、そして作家さんは、早晩アマチュアではなくなります。
「レコードはレストランのメニューみたいなものだ。音楽が聴きたければライブに来てくれ」
と、かっこいいことを宣わったのは、例によってマイルス・デイヴィスですが、現代の音楽シーンにマイルスが活躍していれば、
「レコードはタダで聞かせてやる。本物を聴きたければカネを払ってライブに来い」
とか、言いそうですね!!(他方、「ケチ」との評判も多い彼はそんなことをしない、とも。。)
作曲家マーラーも、生前は「プロの指揮者」兼「アマチュア作曲家」でした。フルトヴェングラーは、自身を指揮者ではなく作曲家と考えていたそうですが、「指揮者フルトヴェングラーの作品」という以上の価値を以て、演奏される機会は多くないようです。
タダで使わせていただける「BGM」としての楽曲を、人はいったいどんなシチュエーションで、聴くべきなのか?
…タダだから、気軽に使える、というきもちにはわたしはなれなくって、そこに「才能」という名の共感を、見出したいです。
すると、丹精込めて作られた作品たちを、やっぱり気軽には聴けなくって。。
そんな次第で、わたしは著作権切れクラシックと、ファルコムの音楽にばかり、依存しております。。