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ミミはかわる – マーラーとオーネット・コールマン

「やがて私の時代が来る」

とは、クラシック作曲家グスタフ・マーラー(1860-1911)の言葉です。一般的にはたぶん、バッハとモーツァルトとベートーヴェンの方が有名ですが、クラシックを貪り聴いている人々にとってモーツァルトやベートーヴェンは徐々に、「流行らないもの」になりつつあります。(バッハについては、ちょっと別格としかいいようがありません。。)

マーラーは存命中は、作曲家としてではなく指揮者として有名でした。

指揮者マーラーは、自作を演奏したがってはいたようですが、流行り廃れのゆるやかな(つまり保守的な)クラシック音楽界にあって、ここ20~40年の間に到来した「マーラー・ブーム」以前は、作曲家としてはあまり評価されていなかったようです。

具体的にいいますと、フルトヴェングラー(1886-1954)とトスカニーニ(1867-1957)という二大巨匠は、いずれもほとんどマーラーの録音を残していません。

ほぼ同時代、この二人に並ぶ人気指揮者のうち、マーラーを積極的に取り上げたのは以下の面々でした。

  • ウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)
  • ブルーノ・ワルター(1876-1962)
  • オットー・クレンペラー(1885-1973)

…単純に、「まだ私の時代ではなかったのだ!」と、マーラーご本人は解釈するのやも知れません。いくつか具体的な要因も指摘されています。

  • ウィーン・フィルは、ビジネス・パートナーである指揮者マーラーが大嫌いだった。
  • トスカニーニは、憧れの先輩マーラーの演奏をアメリカで聴いて失望した。
  • 1934年以降のドイツでは、ナチスの台頭によりユダヤ系であるマーラーの演奏はご法度になった。(それ以前には、フルトヴェングラーがマーラーを演奏したという記録があります。信憑性は不明ですが。。)

我が国の指揮者小澤征爾(1935-)が、マーラーの曲の印象を、こんなふうに説明しています。

「下りのエスカレーターを全力で駆け上がって、上りきったときのへんなかんじ」(意訳)

マーラーを支持した人たちとその演奏

【メンゲルベルク&アムステルダム・コンセルトヘボウ:マーラー交響曲第4番】(1939)

メンゲルベルクはオランダの指揮者です。11歳年下のメンゲルベルクの演奏解釈をマーラーは、「自分よりうまい!」と評したとさえ言われ、こんな風刺画まで残っています。

【メンゲルベルク先生に感謝するベートーヴェン(右)とマーラー(左)】

【ワルター&ウィーン・フィル:マーラー交響曲第9番】(1938)

ワルターは「マーラーの弟子」と紹介されることもある、同じユダヤ系の指揮者です。

この演奏は、ナチスに追われる身となったワルターが、ウィーンを脱出する直前に指揮したものと伝えられており、「CD1枚に収まるマラ9」であることと合わせて、名盤の誉れ高いものです。

…よりによって何故演目が、ウィーン・フィルが嫌っていたとされるマーラーの作品であったのか?様々な意味での緊張感が、せかせかしているとも取れる古い音の隙間から伝わってきます。

「私の時代、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」

世間一般に、とまでは言えないものの、クラシック界にマーラー・ブームを巻き起こした中心人物は、レナード・バーンスタイン(1918-1990)です。

バーンスタインの「マーラー布教活動」がどのようなものであったのか?その時代の空気は想像する以外にありません。ですが幸いにして、映像があります♪

【バーンスタイン&ウィーン・フィル:マーラー交響曲第9番】

…こちらのDVDは私も所有していますが、一体版権問題はどうなっているのか??

Youtubeですので、問題があれば穏当に削除されるとおもいます。

そのパフォーマンスはもう、全身全霊という表現が相応しく。。

…80分にもおよぶ動画ですし、「そうは言っても所詮はクラシック。ロックのコンサートの方が熱いはず!」という現代的なご意見も、おっしゃるとおりではあるのですが、少しでも興味を持たれた方がいらっしゃれば、うれしいです。

人それぞれの好みが、常に優先されてよいことが、音楽の素晴らしさだと言い切れますし。

ミミはかわる

既にバーンスタインも鬼籍に入っておりますが、彼の功績によりマーラーは、クラシック愛好界に確実に根付きました。

CDショップでの扱いが、分かりやすいです。

ベートーヴェン交響曲第9番単品のアルバムでは「当店イチオシ!」には滅多になりえません。

比較することに意味があるとも思えませんが、ベートーヴェン交響曲全集マーラー交響曲第9番単品で、大体釣り合いが取れるかんじです。モーツァルトに至っては、もう「束で売られている」といっても過言ではないです。。

先にご紹介した小澤征爾の「エスカレーターの話」は、私にとっても腑に落ちる喩えです。

支離滅裂!」「わけが分からない!!」「くらくらする!!!」そう酷評され、時代に揉まれ続けたマーラーの音楽は現代の聴衆に、

それもいいじゃない♪

というくらいの感覚で、受け入れられているのです。

同じように、そしてもっとセンセーショナルに、ひとりの音楽家がジャズの世界に登場しました。

【オーネット・コールマン:ゴールデンサークルのオーネット・コールマン・トリオ】(1965)

はい。お聴きいただいたとおりの「へんな音楽」なんですが、私たちのミミには、「で、だからなに?」と冷静にツッコミを入れるだけの余裕があるはずです。…少なくともこれを聞いて、怒り出す人はいないとおもわれます。

ですが伝承によると、当時相当数の音楽家および音楽愛好家が、オーネット・コールマンのこの音に「怒り狂った」そうです。

…いまどき「人を怒らせる」力を持つ音楽など、存在するものか?

私自身について言えば、一部の舌足らず系アニソンは、それに該当するのかも。。…いえ、そんなことはないかも。

ただマーラーやオーネット・コールマンの音楽に「怒れた」ミミが恋しい。その衝撃を、味わってみたい。

それが私の願いです♪

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