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タルコフスキーを分かってみる

難解な映画

ロシアの、ではなく時代的にソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)の作品は、難解だと言われます。私もそう思います。

よく、「○○は難解だ!という意見があるが、それは違う」という専門家のコメントなり評論などがありますが、タルコフスキーについても、我が国の映画監督黒澤明が「タルコフスキーは難解なのではなく、感性が鋭すぎるだけ」と表現したそうです。

…では、そういう人たちにとって、「難解な作品」は存在するのか?どんな作品が難解で、「感性が鋭すぎる」作品は、難解な作品とどう違うのか?

黒澤作品も大好きなのですが、難解なものを難解と言えない風潮は、ささやかな関心の萌芽に失望を与えることでしかないようにずっとかんじていて、出過ぎたもの言いをさせていただきました。

諦めて観る2時間

私が最初に観たタルコフスキー作品は、「サクリファイス」でした。…きっかけですが、確か当時、

【世界一高値のついた写真】

を、ネットで知りまして、それと雰囲気が似ていたからだったとおもいます。

【アンドレイ・タルコフスキー:サクリファイス】

…並べてしまって恐縮ですが、私も似たような写真を撮ってみたいと思って、当時チャレンジしました。^^;

そして観始めた「サクリファイス」。

とても心地がよい時節のこと。確かゴールデン・ウィークの午後だったと記憶しています。

からだがなんのストレスも感じていなくって、どんな刺激でも受け入れられそうなひととき。美しい映像に浸った二時間後。

…なにも理解できませんでした。。

不意に、としか言えない再会

「もう二度と観ないのだろうな…」と、正直そのときは思いました。そして実際半年以上は、放置していたはずです。それを、どうして再び手にとったのかは覚えていません。

ただ、2回目を観終わって以降は、定期的に鑑賞する習慣がつきましたし、その他のタルコフスキー作品も、私のソフト・ライブラリーにまたたく間に増えていきました。ひとつ、学んだことは、

どうせ最初は何も分からないから

という気持ちで対峙してよい作品があるということです。

「ノスタルジア」「鏡」「ソラリス」…と、タルコフスキー作品を短期間のうちに続けて観ましたが、すごい気が楽でした!「どうせ初回は分からない〜♪」と、気負いなく観られましたので!そして、「もう一度観てみる」ことを恐れなくなったので。

奇跡を観る

タイトルに「タルコフスキーを分かってみる」と題打ちましたので、なんとか、ヒントになればいいな〜という情報を、ご提供すべく努力してみます。。

「安心してください。どうせ最初は何も分かりませんから!」

などと言われても、そのようなものに興味と時間のコストを割く方はいらっしゃらないでしょう。。

 

…ひとつだけ、予備知識を持って、それを視聴の中で確認することには、意味があるかな?と思いご紹介します。

実際に私がノスタルジアをお友だちに観せた手法(騙し方?)が、これです。こんなふうに伝えました。

映像がずーっと切り替わらないシーンがいくつかあるから、それに注目して観てみて

 

私が情報としてあとから知ったことですが、「サクリファイス」には家を一軒燃やすシーンがあります。

とても見事に、…そして、言葉の誤用は分かっているつもりなのですが、とてもコケティッシュに撮られています。こちら、実は最初に撮影したときには、不運にもフィルムが回っていなかったそうで。。

もう一度家を建て直し、そして燃やしたのだそうです。

そしてこの一連の映像が、カメラの切り替わりや別のシーンが差し込まれることのない、延々と続く一己の現実であったこと。加工がなされていない、できない映像であること。

 

サクリファイスの「燃える家」は、タルコフスキーの遺作のフィナーレという意味合いもあり、すごく象徴的かつ衝撃的です。

お話変わりまして、ノスタルジア。アマゾンのレビューなどを見ても、こちらの作品をより好むファンが多いようにおもいますし、私も両方好きですが、ノスタルジアの方がより好きです♪

【アンドレイ・タルコフスキー:ノスタルジア】

こちらは、上述のお友だちの言葉を借りれば、

犬!犬!いぬ〜っ!!

…だそうです。

 

ベッドだけが置かれた白い部屋に、雨が吹き込みます。

雨に揺れるレースのカーテン。ベッドに横たわるクールなオジサマ。大きくて賢そうな犬がベッドの傍らにいます。

部屋の奥はシャワールームです。犬はシャワールームに消えます。

意思があるわけではないのでしょうが、雨と風と雲とが白い部屋の壁に陰影を描き続けます。

犬が部屋に戻ってきて、ベッドの脇で丸くなります。

 

…言い換えれば、なんにも起こっていないシーンです。もちろんセリフもありません。カメラも動きません。でもこれで私たちは、

えっ?今のなに?なんだったの!?

とぎゃーぎゃー騒ぎ出してしまったのです。(私は彼女を煽って、内心ほくそ笑みながら、それに合わせただけですが。。)

 

このような長尺のシーンが、特にこのノスタルジアにはいくつもあります。恐ろしいことに。

…こんな映像がこの世に存在することを知ってしまうと、他の映画を観たときに、けっこう困ります。

「あ、カメラ切り替わっちゃった!!監督さん本当は、ここはワンショットで撮りたかったんじゃないかな〜」

とか感じてしまいます。素人が余計な知識を身に着けた結果です。。

愛せなかった作品

かつてアップルのスティーブ・ジョブズが、iTunesストアで映画のレンタル開始を宣言したとき、気になった発言がありました。

「好きな音楽は何百回も聴く。だから音楽は所有した方がいい。一方映画はどんなに好きでも、一生で10回は観ない」

もちろん、10回以上観ている映画はたくさんあります。一方でジョブズの言いたかったであろう「1回観れば十分」な作品を、私もたくさん持っています。。

ハリウッド的な映画は、やっぱり映画館で観たいですし、2回観ることもほとんどないので手元には置かないのですが、厄介なのは、好きになりたい雰囲気があるのに2度観られない、場合によっては最後まで観通せない作品です。。

相性の問題。お見合いのようなものですので、「ご縁がなかった」と割り切るほかはないのですが、ソフトとして購入してしまうと、目に留まるたびに、切ない気持ちになります。。

 

そういう作品について、語る意義も権利もないのだと自覚はしていますが、それでもひとつだけ、挙げさせてください。

私はこの作品を2度観ました。楽しめたとも思います。…でも、3度目。きっと、いつかは観るのでしょうが、それは愛着よりも、忘却が私にそうさせるであろう予感がしています。

【エミール・クストリッツァ:アンダーグラウンド】

どなたか、この作品の楽しみ方を、私に教えてくださればうれしいです。

 

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