on_gaku

指揮者と録音

かつて、すべての音楽はライブだった!

古くはソニーのウォークマン。近年ではiPodおよびiPhoneの登場によって、音楽はより一層私たちに身近なものとなりました。

…しかしながら音楽は、録音技術が誕生するよりもずっと以前から存在しておりますので、多くの、とりわけクラシックの曲は、常に聴衆の前でライブ演奏されることを念頭に、作曲されています。

J.S.バッハ(1685-1750)、モーツァルト(1756-1791)、ベートーヴェン(1770-1827)、ワーグナー(1813-1883)、マーラー(1860-1911)、いずれの作曲家も、自分が作曲した曲の録音を耳にする機会はありませんでした。

晩年聴力を失っていたと言われるベートヴェンは仕方ありませんが、ワーグナーやマーラーは指揮者としても活躍しており、当時CDとは言わないまでもLPレコードがあったならば、果たしてどんな自曲の演奏を残してくれただろう。。と想いを馳せます。

マーラーの自作自演を聴く

20世紀初頭まで存命だったマーラーは、ピアノ・ロールという、ピアノを演奏した痕跡を紙にパンチして残すという技術で録音的なものが残されており、Youtubeで聴くことができます。

【グスタフ・マーラー:自作を含むピアノ・ロール演奏(1905年)】

私の大好きな第4番第4楽章および第5番第1楽章の、作曲者本人によるピアノ演奏など、感涙モノです!歴史的価値のみならず、演奏自体思わず聴き入ってしまう、とてもきらびやかな音楽です♪

マーラーの作品は彼の生前、本人および一部の理解者しか演奏してくれなかったそうで、音楽家としての評価は当代一の指揮者兼アマチュア作曲家だったらしいです。。

指揮者と録音

続いてご紹介するのは、アルトゥーロ・ニキシュ(1855-1922)の録音です。

【アルトゥーロ・ニキシュ&ベルリン・フィル:ベートーヴェン交響曲第5番(1913年)】

…マーラーのピアノ・ロールとはうって変わって、ものすごく音が悪いですが、「演奏記録」ではなく「音」そのものを捉えたという意味では、こちらの方がより当人の音に近いと言えるでしょう。

ニキシュという人は生没年から見て、ほぼマーラーと同年代に活躍した指揮者です。「魔術的」と評される名指揮者だったそうです。

…けれども悲しいかな、その音楽がいかに素晴らしくても録音なかりせば、演奏家は伝説としてしか名を残せない定めを背負っています。例を挙げれば、フランツ・リストやパガニーニ。彼らはそれぞれピアノとバイオリンの「達人」と言い伝えられてはいます。

しかしながら、リストはあくまでも作曲家として名を残し、パガニーニは一般的な知名度はないと言わざるを得ません。

「これは私の知るニキシュではない!」

とは、上記の録音に対する、20世紀の指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの評です。せっかく録音を遺してくれたのに。。

トスカニーニとフルトヴェングラー

我が国を含めたクラシックCD蒐集マニア界で、もっとも人気がある指揮者はヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)で間違いないとおもいます。

そして、そのライバルと呼ばれたアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)も、モノラルではありますが、数多の録音が残っており、あーだこーだというファンの評論の肴となっております。

生没年を比較すると興味深いのですが、トスカニーニとマーラーは7歳マーラーが年上でほぼ同年代。

トスカニーニの録音が、どどーんと101枚組とかでまとめ買いできるほど残されている一方、指揮者マーラーを評価するに足る材料がまったくないのは、トスカニーニの長寿(没年89歳)に理由があります。

【トスカニーニ101枚セット】

もうひとつ、面白い見方がありまして、トスカニーニの指揮者としての活動時期を生没年的に記載すると、次のようになります。(1886-1954)

…こちら、ライバルと目されたフルトヴェングラーの生没年と一致いたします。

録音!録音?録音。

「世界最古の録音はどれ?」というような分かりやすい問いの答えは、誰しもが求めると思います。

グーグル先生で調べると色々出てまいりますが、こと「クラシックでは?」あるいは実験ではなく、「最初に販売された録音は?」今でもなんとか再生装置が買える「LPレコードの最初の1枚は?」など、多分イメージする「世界初!」は、案外人それぞれではないでしょうか?

録音という当時の最先端テクノロジーに対して、音楽のプロたる指揮者たちが取った態度もまた、まちまちだったろうと想像できます。

ライブ演奏を捨て、スタジオ録音専門という道を選んだ音楽家には、ビートルズやグレン・グールドなどがいます。でも、いずれも1965年以降のお話です。

事実、フルトヴェングラーの録音嫌いは有名で、「そこのキミ、あのマイク邪魔だからどかして」とか、現場の録音エンジニアへの態度も冷たいものだったようです。…EMI。。今でもラトルのマーラー5番など「これが現代の録音か?」等酷評されることがありますが、フルトヴェングラーのトラウマが現代まで残っているのやもしれません。

 

ともあれ、「著名クラシック音楽家」の当時の「ベストセラー」で「一番古いもの」であれば容易に特定可能でしょうが(たぶん上記ニキシュです)、実験的な録音も多かったはずです。

少しずつ、ときには手戻りもしながら(こんにちのハイレゾに即して言えば、1980年前後の16bitでのデジタル録音が「手戻り」になりますね。。)、録音技術は今も発展し続けております。

もし仮に録音技術の発展が、史実よりもちょうど10年遅かったならば、トスカニーニとフルトヴェングラーではない指揮者が、あるいはクラシック以外のジャンルの音楽が、オーディオ・マニアの興味の中心に位置していたことも考えられるとおもうのです。

…LPレコードのないビートルズは、ここまで有名にはなれなかったかな?とか。

トスカニーニ唯一のステレオ録音

繰り返しになりますが、トスカニーニの引退した年は、フルトヴェングラーの没年でもあります。

1954年4月4日、トスカニーニは人生最後のコンサートの指揮台に立ちますが(その後も指揮台自体には登ったようです)、そのときの録音が彼唯一のステレオ録音として残されています。

【アルトゥーロ・トスカニーニ&NBC交響楽団:ファイナル・コンサート(1954.4.4)】

…そしてこのとき、こちらの演奏では3:oo〜5:00あたりが顕著ですが、54年間に及ぶ指揮活動を、すべて暗譜(譜面を見ないで記憶して指揮すること)で通してきた彼は演奏中の曲(ワーグナーのタンホイザー序曲)の楽譜をど忘れしてしまったとのことです。

指揮者とは、自分では音を鳴らさない演奏家です。

「指揮者って要るの?」という問いもよく聞きますし、私も謎に思っていますが、ここにひとつの痛ましいエビデンスがあります。

そもそもがNBC交響楽団は、実質トスカニーニのために集められたオーケストラでした。いわばトスカニーニの楽器と呼べるでしょう。

演奏は、もう曲の最初から様子がおかしく、音は次第にか細くなっていきます。不安は、伝わってきます。…指揮台の様子は、録音からは一切うかがい知ることはできません。。

 

ですが、5:00を過ぎたあたりから、曲調の変化とともにすべてが戻ってきます!

自信に満ち溢れた、快活で歯切れのよい男性的な音!初の、そして最後のステレオ録音として、それまでの数多のモノラル録音からは聴き取ることの難しかった、豊かな音色♪

トスカニーニの54年間に及ぶ指揮活動のフィナーレです!彼がそのキャリアの最初期に時代を共にした音楽家たちの演奏は、皆無と言っていいほど残っていません。

この大指揮者の最後の演奏を、当時まだ信頼性も低かったであろうステレオ技術で「遺す!」決定の背景にはきっと、芸術家気質の強いフルトヴェングラーとはまた違った、指揮者本人の意思もあったと想像されます。

 

おしまいに、トスカニーニ&NBC交響楽団の「運命」第1楽章の動画がありましたので、ご紹介します。

思えばトスカニーニのこの曲こそが、「クラシックって眠くならない!」ことを私に教えてくれた最初の音楽でした。

【アルトゥーロ・トスカニーニ&NBC交響楽団:ベートーヴェン交響曲第5番第1楽章】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です