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眠くならないクラシック(前編)

そもそものお話

私が京浜工業地帯の端にある「由紀レコオド」というお店を知ったのは実は、横浜から今住む北関東に引っ越したその日のことでした。

引っ越し屋さんのトラックで産業道路を北上しているとき、たまたま煤けた黄色い看板を見つけ、気になってあとから訪ねたという次第です。

…約5年間、横浜に住んでいる間に気づければ、もっと違ったお付き合いができたのかな?ともおもうのですが、横浜でクルマに乗る機会など、それまでなかったので仕方ありません。

それに、そういう「発見」だったからこそ、「クラシック専門店」などと名乗る怪しいお店に関心を抱いたのかもしれませんし。

海に向かって歩く

引っ越しは4月のあたまで、横浜再訪はたしか5月の末でした。

「電車に乗れば、2時間くらいで横浜に行けてしまう」

ということに気づくまでは、やっぱり遠いと思ってなかなか気持ちが乗らなかったのです。

とりあえず横浜で住んでいた部屋の最寄り駅で降りて、産業道路を目指して歩きました。土曜日の、雨の心配のない曇った午後だったと記憶しています。

…少し迷ってお店を見つけました。看板と同様、排ガスで曇ったガラス越しに、カウンターに座る年配の女性の姿が見えました。「この方が由紀さんかな?」覗き込んでいると一瞬目が合ってしまい、女性はすぐに目線を落としました。ちょっとバツの悪い思いをしました。狭い店内に、お客さんはいないようです。

躊躇しましたが、せっかくここまで来たのだから!と、意を決して入店してみました。女性は無言のまま、今度は一瞥もくれません。引き戸を閉めるとクルマの騒音が不気味なほど聞こえなくなり、随分とアップテンポなクラシックの演奏が聴こえてきます。

店内へと

「クラシック専門店 由紀レコオド」を目指して来た私ですが、それまでクラシック音楽を聴く趣味はまったくありませんでした。

「クラシック鑑賞を趣味にしたいな♪」

と思ったことはあります。…でも現実問題、例えば「パッヘルベルのカノン」をどこかで聞いて「いいな♪」と思いCDショップに行っても、無数の「パッヘルベルのカノン」が並んでいて、どれを選べばよいのか途方に暮れます。

だいたい、クラシックの品揃えがあるような大きなショップで、クラシック・コーナーに立ち入ること自体、ものすごく勇気が要ります!

 

…にも関わらず迷い込んでしまった狭い店内には、所狭しとCDが並んでいます。想像はしていましたが、本当に全部クラシックのCDのようです!お店に入ってものの10秒で、自分が場違いな空間にいることを自覚します。

とりあえず「ベートーヴェン」とか「モーツァルト」とか、聞いたことのある名前のラベルの辺りに目を遣り、でも手を伸ばす勇気はなく、「ああ、ドヴォルザークという人も知っている!」と「ド」のコーナーを探し始めたあたりで、聞いたことのある音楽が流れてきました。曲名も知っています!「新世界」です。…あれ?これって確か、ドヴォルザークでは?

ちょっと嬉しくなり、真面目に演奏に耳を傾けます。すごく歯切れがよくって、元気いっぱいな「新世界」。…あれ?クラシックって、こんな風にノリノリな音楽だったっけ?などと考えていると、

「あなた、これまでこんな演奏、聴いたことないでしょ?」

見回しはしましたが、店内にはお客は私しかいません。声の主に顔を向けると、カウンターの年配の女性が、勝ち誇ったような表情でこちらを見ていました。

…すごく嫌な気持ちになったことは、はっきりと覚えています。

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